About me.

運営者プロフィール!

初めまして、”Umeshi”と申します。

私はゆとり世代ど真ん中の25歳の会社員で、

普段の仕事は、上司の顔色を伺い、指示に従って、

アルバイトの主婦さんたちの不満攻撃を受け流しながら(時にはモロに食らいながら)、

小さなお店の店長をしています。

現在の収入は月収・額面22万+年2回のボーナス、年収にすると300万円ちょいです。

おそらく多くのゆとり世代同様に、お米を買うときは無洗米にするかどうかをかなり悩みますし、スタバで作業をしたいときには本当はショートサイズを頼みたいところだけど、長時間いることに罪悪感を感じ、その罪悪感と本音の間を取ってトールサイズ(ショートサイズより1つ大きいサイズ)を頼んでいます。(給料日の次の日にはもう1つ大きいグランデサイズを頼んでいます。)

『このままの収入では、夢を叶えるどころか一家の大黒柱にすらなれない…』

と思い、まずは迷わず無洗米を購入したり、迷わずスタバでヴェンティサイズ(一番大きいサイズ)を頼めるようになるという小さな目標を掲げ、大きな目標に辿り着くことを目指して日々、試行錯誤しています。

このサイト、『ゆとRe:教育』は、そんな25歳の試行錯誤と成長の記録です。

『いや、Umeshiって、一体どこの誰やねん。』というあなたの心の声が聞こえてきたので、ザックリとした年表をベースに軽く自己紹介をさせていただきます。

★My年表

0歳(1994年)ー
神奈川県に生まれる。

8歳(2002年)ー
父の影響でサッカーを始める。
ワールドカップが日本で開催されたにも関わらず、周りは野球少年で溢れており、流行に乗っからないと不安だった私は、ベイスターズの帽子をかぶっていた。

15歳(2009年)ー
高校進学にあたり、初めて自分の将来と向き合い、今までは漠然としていた『プロサッカー選手になる。』という夢を全力で追いかけることを決意し、全国大会出場歴のある、県内のサッカー強豪校へと進学。

18歳(2012年)ー
スポーツ推薦が一学年20人を超える、総勢100人以上が所属する強豪校の中で、見事に埋もれ、3年間のうち多くの時間を2軍や3軍で過ごし、公式戦には一度も出場することなく高校サッカーを引退。

19歳(2013年)ー
高校3年間では全く結果を出せなかったものの、『プロになる。』という夢は諦められず、どうやったらプロになれるかを考えた結果、『まずは、自分が試合に必ず出れるようになる必要がある。』という結論に至り、大学進学と同時に、友人たちとサッカーチームを発足し、県の社会人リーグへ参入。

20歳(2014年)ー
友人たちと試行錯誤しながら活動し、多くの大人に関わっていただき、支えてもらう中で、海外留学斡旋会社の方と知り合い、『海外でプロに挑戦するチャンス』をもらう。友人に恵まれ、とてもとても楽しかった大学を中退し、海外挑戦に人生を賭ける決意をする。

20歳~21歳(2014年~15年)ー
海外でプロサッカー選手として活動。1年間で約30試合に出場、11得点をあげてチームに貢献することができ、さらなる上のチームへのステップアップのチャンスをいただいたものの、海外での1年間の中で、人間としての未熟さを痛感し、まずは人として成長しなければサッカー選手として生きていくことは出来ないと悟り、まずは人として自分を成長させる為に帰国を決意。

*当時の学びを綴った、電子書籍はコチラ。↓

21歳~22歳(2015年~16年)ー
初めての一人暮らし(海外時代はホームステイ)、初めての会社員としての生活を経験し、掃除、料理、洗濯、節約と、生きることの面倒くささを痛感すると同時に、満員電車で揺られるサラリーマンや、主婦の方々を崇める。1人の人間としては大きく成長出来たものの、仕事に追われ、サッカーは全く出来ず。

22歳~23歳(2016年~17年)ー
サッカー選手になることを諦めたわけでは無かったので、全くプレーが出来ていなかった状況をなんとか変えなければと思い、社会人チームに所属し、そのスポンサー先で働く。

23歳(2017年)ー
サッカー選手としてお給料をもらえるところまであと一歩のところに来ている実感はあったものの、トレーニングと仕事の毎日、月収10万円程度の状況に迷いを感じる。改めて、自分自身と向き合い、『なぜ、自分はプロサッカー選手になりたいのか。』を見つめ直し、家族との時間、友人との時間、恋人との時間など、自分がサッカー以外にも大切に感じていた何かを犠牲にしてプロになるのではなく、『欲しいもの、全てを手に入れる。』道を選ぶことを決意する。(本当に欲しいものを全てを手に入れられる確信があったわけではなかったが、少なくとも”手に入れようとする”道を選ばなければ『なぜ、自分はプロサッカー選手になりたいのか』、死ぬ時に後悔すると考えていた。)

そして、一旦サッカーから離れ、再び人生プランを練り直す決意をする。

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何となく、どういう道筋を辿って、現在の活動に至っているのかをお分かりいただけたかと思います。

プロフィールを辿り、現在のような活動を始める最も大きな転機となった、『なぜ、自分はプロサッカー選手になりたいのか。』という部分なのですが、この部分だけ少し詳しく書かせていただきます。

★私がサッカー選手になりたい理由。

私がサッカー選手になりたい理由は、まずは単純にサッカーが好きだからです。

私は普段、周りのことを気にして、自分の気持ちを抑えることが多々あります。自分という人間を言葉にして説明するのもあまり得意ではありません。そんな私が、ありのままの自分を最も表現出来ていると感じられるのは、サッカーをしている時です。

そして、自分がサッカーで良いプレーをして、応援してくれてる人たちが笑顔になってくれる瞬間に、とても幸せを感じます。

これは、私だけではなくあなたにも共感してもらえる部分だと思うのですが、『ありのままの自分を必要としてもらえたり、ありのままの自分で誰かを喜ばせることが出来る。』というのは、人生においてこの上なく幸せなことだと思います。

その幸せを感じさせてくれるのが、私にとってはサッカーなのです。

だから、私はサッカーが大好きです。

ですが、サッカー選手になりたいと思っている理由は、”ただ単純にサッカーが好きだから”という理由だけではなく、もう一つとても重要な理由があります。

もう一つの理由、それは、”多くの人々に自分の人生を通して、理想の人生は手に入れることが出来る!ということを伝えたいと思っているから”です。

私がプロのサッカー選手になるということを決意した高校進学の際、周りの友人からは『あの強豪校へ挑戦するなんてすごい!』という”尊敬”の眼差しを感じ、夢に向かう自分から刺激を受け、励みにして自らの夢へ進もうとする友人たちがいました。

そして、海外への挑戦を決意した時にも、同じように”尊敬”の眼差しを感じ、自分は友人たちの刺激になれていると実感することが出来ていました。

しかし、年齢が上がるにつれて、その”尊敬”の眼差しは減り、”同情”の眼差しが増えてきているのを実感していました。

『そんなに安い給料でよく頑張っている。』

『恋人にすぐに会えない距離なのに、よく頑張っている。』

『毎朝5時に起きて、練習場まで往復6時間掛かるのに、よく頑張っている。』

ストレートにいけば4年生の大学を卒業して社会に出る、23歳の年になる頃には、私が周りに対して与えられる良い影響はほとんど無くなっており、むしろ、夢を追った結果の悪いお手本のような存在にまでなっているように感じました。

『悪いお手本になる為に、いつまでもサッカー選手を目指しているわけでは無い。「色々と犠牲にしたこともあったけど、自分が好きだったことをずっと出来た、幸せな人生でした。」と引きつった笑顔で人生を終えるのではなく、「自分がやりたいことを全て出来た、文句無しの人生でした!」と満面のしわくちゃスマイルで人生を終えて、多くの人に対して、色んな可能性を示したい。』

その自分の思いに気がついたのが、サッカー選手という肩書を表面的にもらう一歩手前のところまできていた23歳の時でした。(一歩手前というのは、日本のトップリーグでのチームの2軍に当たるチームに所属しており、1軍の練習にも参加するようになっていたところでした。)

『このままサッカーだけをしてれば、きっとそのうちサッカー選手と呼べるところまではいけるかもしれない。ただ、今、軌道修正すれば、サッカーを含めて、本当に自分が欲しいものを全て手に入れることが出来る可能性がある。そして、自分の人生のミッションとも呼べる、”自分の人生を通して、理想の人生は手に入れることが出来る!ということを多くの人々に伝えることも出来る。決断するなら今しかない。

ちょっとでもそういう選択肢を感じてしまったので、もうこの道に進む以外、死ぬ時に後悔しない道はないと感じました。

そう思い、周囲からの”勿体無い”という声を退け、半ば夜逃げのような形でチームから離れ、”一旦”、完全にサッカーシューズを脱ぐことを決意しました。

今は、40歳を過ぎて初めてJリーガーになる人が出てきたり、好きな時に働いて、好きな時に旅行に行ったり、あらゆることが出来る時代になっています。

今の時代なら、100%実現不可能なことを見つける方が逆に難しいのではないかと思います。

だから、私は必ずまたサッカーシューズを履いて、プロサッカー選手になって、大切な人との幸せな築いて、その他欲しいものを全部手に入れられる気しかしていません。

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以上、運営者の紹介でした!